━━ 『特許を斬る!』知財経験34年 ・・・ 愚禿の手記 第11号 ━━
特許屋から見れば、特許には「創造型特許」と「解決型特許」の二種類がある。
解決型特許とは、文字通り、課題を克服するために考え出された特許を指す。
例えば、商品の開発や製造の過程で、技術者が何らかの課題に直面し、これを解決するために考えたアイデアを特許化したもの。
この場合、作るべき商品は既に決まっており、それを如何に上手く作るかが、技術者に課せられる課題なのだ。
技術者は、必死にこの課題に取り組み、要求される性能や品質、価格等を満足する解を導き出す。
このようにして考え出されるのが、解決型特許の特徴である。
日本の企業が出す特許の大半は、この解決型特許といえよう。
これに対して、作るべき商品が見えていない中で、どんな商品を作ろうかと考え出されるのが、創造型特許なのである。
世の中で、新商品と呼ばれているものの多くは、今までに見たこともない全く新しい商品ではなく、これまでの商品を改善・改良したものか、あるいは新たな機能を付加したものが殆どである。
従って、ここにあるのは解決型特許ばかり。
今までにない全く新しい発想で生み出された、これまでに目にしたこともない商品、これが創造型特許の商品なのだ。
日本人は、この創造型特許の商品を作るのが苦手だ。
車しかり・・、スマホしかり・・、
大衆受けする商品は、ほとんど外国からもたらされたものが多い。
何故か?
日本人は、昔から、「有るものを使い、無いものは我慢する」という習慣の中で生きてきた民族だからではないだろうか。
だから、有る物を巧みに使いこなす術には長けているが、無い物を創造する術をあまり知らない。
企業の経営者も、どうなるのか分からないものへの投資は避けて、堅実なものへ投資する人が多いように思える。
よって、企業の中で創造型特許を産み出すのは至難の業といえる。
かなり以前の話であるが、
「音に反応して、色が変わる」という特許があった。
発明者は、アメリカ人で、企業人ではなく個人であった。
しかも、お年寄りのお爺さんなのだ。
彼のエピソードによれば、一人で遊ぶ孫のために、何か面白い玩具はないかと考えたのが発端だったそうだ。
そして、家の物置の中で思いついたのが、音で色が変われば孫も喜ぶのではないかという発想だった。
この特許は、その後しばらくして、ゲーム機を米国に輸出していた日本企業に大打撃を与えた。
音が出ると色が変わる(例えば、魚雷が命中すると轟音が響き、赤い火柱が出る)ゲーム機は、よく目にしたことがあるはずだ。
一人のお爺さんに莫大なお金が舞い込んだのである。
これこそ、創造型特許だと言いたい。
「誰かのために、何かしてやろう。」という熱い想い・・・
これが、創造型特許を生み出す原点なのではないだろうか。
「やれ!」と云われて考え出した解決型特許には、受身的要素が感じられる。
(勿論、これが悪いという訳では、決してない。)
ただ、「誰かために、何とかしたい」という発想の創造型特許には、自発的要素が多分に感じられるのだ。
恐らく、損得勘定を抜きにして生み出されるのが、この創造型特許なのかも知れない。
大げさかも知れないが、「ボランティア特許」と呼ぶにふさわしい特許とでも言いたい特許である。
しかし、考えてみれば、日常生活の中で、
「こういうのがあったら便利なのに・・・」とか、
「どうして、こんなのが無いのかしら?」といった会話をよく耳にする。
これに、「誰かのために、何とかしてやろう!」という熱い想いが加わった時、創造型特許が誕生するのではないだろうか。
そして、それは、主婦や学生のような一般消費者の中から生まれて来るものなのかも知れない。
特許屋が、そのような人達にもっともっと手を差し延べてやれば、海外からも注目される特許を輩出できるのではないだろうか。
主婦や学生にとって、特許事務所は馴染みの薄い、場違いの場所と思われているようだが、
特許事務所が、大企業依存体質から脱却して、もっと消費者支援事務所になれば、日本も「音に反応して色が変わる特許」に負けない創造型特許を、きっと送り出すことが出来るはずなのだ。
知財立国の鍵を握っているのは、主婦や学生なのかも知れない!
余談だが、日本のボランティア活動の走りは、1989年サンフランシスコ地震における大学生中心の38人の災害支援活動だったとのこと。
(注)Wikipedia情報による
この学生達の情熱を無駄にはしたくない。
企業に入ってしまうと、なかなか難しい創造型特許・・・だが、
私は、これを日本の学生や主婦の方々に期待し、応援したい。
それでは、また。
★ 編集後記
日本は「してはいけない」ことを教える教育、米国は「していいこと」を教える教育。
どちらが、いいと思いますか?
創造力を豊かに育てるのは、やはり米国の方でしょうか・・・。