━━ 『特許を斬る!』知財経験34年 ・・・ 愚禿の手記 第21号 ━━
ライセンス交渉や知財訴訟で最後に結ばれるのが、特許実施許諾契約である。
『特許実施許諾契約』とは、文字通り特許を実施するための契約である。
権利を許諾する方を、ライセンサー(権利者)といい、許諾をされる方を、ライセンシー(実施権者)という。
ライセンシー(実施権者)は、実施権を得るためにライセンサー(権利者)と合意した対価を支払う。
また、訴訟の場合には、判決通りの対価を支払わなければならない。
こうして、ライセンサーに対価を支払うことで、ライセンサーが持っている特許の実施権を獲得するのである。
一般的に、特許実施許諾契約書には、ライセンサーの権利とライセンシーの義務が書かれている。
対価を受け取る権利と、対価を支払う義務に重きが置かれているからである。
しかし、ライセンサーとライセンシーは、「と」で繋がっていてはいけない!
というのが、私の持論である。
ノーベル賞作家の川端康成先生は、パリでの講演の折、「と」と「の」の違いについて話をされておられる。
「と」は西洋の文化で、「の」は日本の文化であると。
西洋では、「親と子」でよいが、日本では、「親の子」であり、「子の親」でなければならないと説かれている。
「と」は並列や同格を表わす言葉であるが、「の」は拡大や発展を表わす。
確かに、「先生と生徒」ではなく、「先生の生徒」であり、「生徒のための先生」になることで、先生も生徒も互いに信頼し合って伸びていく美しい姿が想像できる。
「の」が日本の文化であるならば、特許実施許諾契約も、ライセンサーとライセンシーは,「の」で繋がっていて欲しいものだ。
ライセンサーとライセンシーではなく、ライセンサーのためのライセンシーであり、ライセンシーのためのライセンサーでなければならないのではあるまいか。
権利者にも義務があり、義務者にも権利があるはず。
権利者の権利と、義務者の義務だけがクローズアップされてはいけないと思う。
「特許実施許諾契約」とは、特許権だけを貰うのではなく、特許を実施する権利を貰う訳だから、
特許明細書には書かれていない技術情報でも、その特許を実施するのに必要な情報であれば、権利者はそれを義務者に与える義務があるのだ。
権利だけ貰えばそれで安心、と考えている人も多いようだ。
事実、私自身、どんな権利を貰ったかとか、実施の範囲がどこまでなら許されるのか、といった権利に関することだけに目を奪われていたような気がする。
契約書のなかには、必要な技術情報やノウハウを権利者に要求できる条項が盛り込まれているのに・・・
この条項をもっと上手く活用できれば、ライセンサーとライセンシーとが、「の」で結ばれる関係となり、今ある特許だけに留まらず、もっと拡大や発展が望めたのではないかと反省している。
ライセンシー(義務者)は、対価支払いの義務だけではなく、その特許をもっともっと発展させる情報要求の権利をフルに活用してもらいたい。
それが、産業の発展に寄与するという特許法本来の意義ではないのだろうか。
それでは、また。
★ 編集後記
パテントトロールの方々は、特許明細書に書かれていない技術情報や
実施のためのノウハウを、どこまで熟知しているのだろうか・・・?
上手く使えば、パテントトロール対策にもなるのではないでしょうか。