━━ 『特許を斬る!』知財経験34年 ・・・ 愚禿の手記 第31号 ━━
サブマリン特許・・・
それは、まさに潜水艦のように、いつ浮上するかわからない特許のことである。
当時、米国は国策として、特許公開制度を採用しておらず、非公開制度を維持していた。
従って、特許として成立するまでの間は、誰の目にも触れることはなかった。
海底の奥深くにじっと潜航しており、成立と同時に急浮上して周りを驚かせるとんでもない特許、それがサブマリン特許である。
サブマリン特許の餌食になった日本企業は決して少なくない。どこも、非常に高額の特許使用料を支払わされた。
これは、日本企業が、米国特許に負けたのではなく、アメリカの国策に負けたと言っても過言ではない。
余談だが、
現在、米国は特許公開制度に転換している。
それは非公開戦略としての武器の役目を終えたとの判断からであろう。
特許制度と国の政策を連動して経済力強化を図る米国の政治力(プロパテント政策)は、日本よりもずっと強力であった。
特許出願件数こそ世界一と称されていた日本だが、制度や政策は著しく遅れをとっていたのは間違いない。
今も、そうである。
他人の後ろをついて回るだけの、日本の後追い政策・・・
「美しい日本」もいいが、「強い日本」にも目を向けてもらいたいものだ。
さて、話を戻すが、サブマリン特許に対してどう対抗するか!
それは、まず、特許の審査経緯をしっかりと把握し、何故成立したのか、その本質を分析することである。
「小型情報処理装置」のタイトルが付されているこの特許・・
実は、その原出願(親特許)は、なんと、オート・ミル(自動製粉機)だった。
粉屋のおじさんが考えた発明が、20年の時を経て姿形を変えて、情報処理ハードウェアの根幹をなすマイクロプロセッサ特許として、突如出現したのである。
親出願の明細書には、小麦粉を自動的に製粉する機械のメカニズムとその手順が、事細やかに書かれていた。
しかし、その技術思想は、一貫して製粉技術に終始するもので、プロセッサの「プ」の字も出てこない代物である。
僅かに、四角い箱の中に、処理部と記憶部と制御部の機能がまとめられているにすぎなかった。
この発明者が、製粉機を自動化することを考えた当時、20年後にはマイクロコンピュータが一世を風靡するなどと、誰が考えただろうか!
「寝耳に水」、「晴天の霹靂」という言葉を肌身に沁みて感じたのは、この時が最初であった。
これは、恐らく発明者の意図ではない! そう直感した。
きっと、成功報酬を目論んだ弁護士の入れ知恵に相違ない。とすれば、戦う相手は、もはや発明者ではない。
相手は、弁護士か、あるいは、アメリカという国なのだ。
当時、我社の社長は、技術系出身のバリバリのエンジニアであった。
「行政の餌食になるな!」・・・
これが、口癖の、実にリーダシップに優れた人だった。
しかし、いくら餌食になるなと云われても、一体どうやって戦えばいいのか・・・
正直、途方に暮れた日々を過ごした悪夢を思い出す。
確たる戦略もないまま、タイムリミットに追われ、事の真相を社長に報告に行った時、
社長の口から出た一言が、私の迷いを吹き飛ばした。それは、私にとって痛烈な一言であった。
(次号へ続く)
それでは、また。
★ 編集後記
『攻撃は、最大の防御なり。』 攻めて、守る・・・
知財戦略ではとても大事なことです。
ワールドカップを見ていて、再認識させられました。