━━ 『特許を斬る!』知財経験34年 ・・・ 愚禿の手記 第45号 ━━
(前号からの続き)
打開策を求めた私の提案は、次のようなものであった。
「契約解約後でも開発を続けておられると伺い驚いた。従って、当社の発売日程に遅延が生じないように完成させて戴けたら追加費用をお支払する。
なお、現在B社にも開発委託しているので、どちらを採用させて頂くかは、完成物を評価した結果で決めたい。
また、どちらも同じ評価の場合には、2社購買にするという線で内部調整を図っていきたい。 如何だろうか?」
これに対して、A社の社長は二つ返事でOKしてくれた。
そこで私は、次の提案をした。
「なお、特許問題について、どちらが真の発明者かを決めるのは状況からして困難であり、そんなことに時間を使うのは無駄だと思う。
今回は、両社に権利があると考える方が自然だ。よって、共同出願という形にするか、それがダメなら、我々に無償のライセンスを与えて頂きたい。」
社長は、しばらく考えた後、
「開発も継続できることだし、折角出願した特許だから自分達の手で登録まで持っていきたい。登録されたら権利はすべて譲渡する。維持費が大変だから・・・」
これを聞いて、私も肩の荷がおりた感じがした。
そして、雑談に移った時、次のような質問を投げてみた。
「この度の開発委託では、当初の性能をクリアできたとのことであったが、これに対して更なる要求を受けた時、『それは約束と違う』と何故言わなかったのか?」と。
すると、社長の答えは、
「そんなこと言えるわけがない。言ったら、次から仕事をもらえなくなってしまう・・・。」
私は、「そんなことが過去にあったのか?」と聞いたところ、
彼は、「お宅ではないが、別の会社から切られたことは経験した。」と話してくれた。
やはり、これが日本の実態なのかと改めて痛感した。
お金を出す方が強く、もらう方が弱い。これが、平然とまかり通る世界なのだ。
前にも書いたと思うが、委託をする側と委託を受ける側は、対等であるべきだ。共に、一つの製品を作り上げるパートナー同士として。
私は、『お金を払う方が強いのだ』という傲慢な意識が、使い捨て文化を作り上げたのだと思う。
そして、それが結果として『技術の空洞化』を招いたのではないだろうか。
競合関係にある会社同士が「競争」し合うのは、大変結構な事である。しかし、
パートナー同士であれは、「競争」ではなく「共創」の関係で結ばれるべきだと思う。
それが、パートナー同士を共に成長させる道なのではないだろうか。
使い捨て文化に、技術の発展は望めない。
「権利移転請求」の話から逸れてしまったが、
冒認出願や共同出願違反は、本来あってはいけないこと。
しかし、それを是正するための法律が敢えて必要になるのは、どこかに問題があるからだ。
大事なのは、救済するための新しい法律を作ることではなく、問題の根本原因を排除していくことではないだろうか。
「木を見て森を見ず」
木だけしか見ようとしなければ、特許法の条文もだんだん増えていくばかり。
知財職を志す人たちにとっては、さぞかし大変な時代となることだろう・・・ (終わり)。
それでは、また。
★ 編集後記
先程、テレビのニュースで国会の予算委員会の模様が取り上げられ、質問に立った野党の議員から慰安婦問題の質疑がなされているのを見ました。
日本という国を正しい方向に導いていきたいという思いに異を唱えるつもりは毛頭ありませんが、会社で言えば「予算検討会」の席上で人財育成について論じるようなものでしょうか。
そんなことをしたら、「お前はバカか、KYか!」と怒鳴られて追い出されるのが必至です。
政治家も政党の拡大だけを考えるのではなく、本来あるべき政治の姿を堂々と論じ合ってもらいたいものです。
政党を見て国民を見ず! あぁぁぁぁぁ・・・・