━━ 『特許を斬る!』知財経験34年 ・・・ 愚禿の手記 第48号 ━━
(前号の続き)
米国の特許弁護士、曰く、
「今の説明を聞いて安心した。 我々も全く同じ所に着目していた。 これで自信を持って反論書を作成出来る。ありがとう。」
一時は、どうなることかと不安だったが、両者の見解が一致した。出席者の表情が、最初と違って皆明るくなっていた。
そして、相手の技術部長から質問があった。「どうして、この違いに気付いたのか?」と。
特許の権利解釈にハードもソフトもないと思っていた私は、ありのまま正直に答えた。
「実は、今日、実際のゲームを見せてもらうまでは自分たちが出した答えに自信がなかった。しかし、映像を見て『これならいける』と確信した次第である。
前々から御社のゲームを見ていると、映像よりもゲームの内容を重視しているように思えた。
そのイメージで今回の特許を検討した。恐らく、複雑かつリアルな映像には興味がないのではないかと。」
これに対して、先方の役員から、
「我々は、ゲームをおもちゃの延長とはとらえていない。我々の向かう先は『教育ビジネス』だ。
子供たちが、我々のゲームに触れることで自分達の将来について何かを学び取って欲しいと願っている。」とのコメントがあった。
花札から出発した会社が、その経営ビジョンとして「教育」を掲げていることに正直驚かされた。と同時に、
この会社はこれからますます伸びていくと感じた。
当時のハードウェアは、「より安全に、より安く」を使命と考えていた。
そう、ハードウェアの眼は、常に『モノ』に向けられていた。しかし、ソフトウェアはそうではないことを教えられた。
ソフトウェアの眼は、モノではなく『人』に向けられているのだ。
モノにしか眼がむけられていないハードウェア思考では、マーケット(市場)を築くことは出来ない。何故なら、
マーケットは、モノが創るのではなく「人」が創るものだからだ。
以前は、ハードウェアがソフトウェアを牽引していたが、これからはソフトウェアがハードウェアを牽引する時代に変わっていくだろうと、強く予感した。そして、
この時から、私は、ソフトウェアの重要性を意識し、会社でもソフトウェア特許の出し方や書き方、考え方についての教育に注力するようになった。
しかし、特許庁が「ソフトウェアに関する審査基準」を定めたのは、それからずっと後のことである。
因みに、同じゲーム業界でも東にあるメーカは、バトルアクションゲームを得意とし、戦闘時の筋肉の動きに立体感を持たせ、よりリアルな戦闘風景を演出していた。
その会社が、特許料を支払ったかどうかは定かではない。
企業は、とかく自分の作ったモノに目を奪われがちだが、大事なのは、モノを使う人に絶えず気を配り続けることなのではないだろうか。
それこそが、日本再生のために必要な新しい技術や新しい市場の創造・開拓の原動力になることを信じて。
(次回は、今話題の青色発光ダイオードに端を発する
『発明は、従業員のものか、それとも企業のものか!』
について私見を述べてみたい。)
それでは、また。
★ 編集後記
日本という国は、NO.1を欲しがるわりに自ら先陣を切って新しい
ことに挑戦する意欲が乏しく、1番手の背中を伺いながらその隙を
狙う企業が多いように思います。
1位を目指すのであれば、やはり初動対応が大切です。しかし、
初動対応を誤ると、それまで蚊帳の外にいた人までもが加わって
過ちを叩き合う習慣があるようです。マスコミ然り。
これでは、勇気を持って先陣を切ろうとする人は、なかなか
輩出できません。ベンチャーが伸びない理由も、ここにあるのでは
ないでしょうか。
先陣を切って失敗した人を褒める風土作りが必要だと思います。