━━ 『特許を斬る!』知財経験34年 ・・・ 愚禿の手記 第70号 ━━
(前号の続き)
アメリカの子会社との交渉が失敗に終わった今、一刻も早く訴訟を終わらせるには、親会社である韓国の会社と直に会って和解に持ち込む必要がある。
しかし、相手は韓国だ・・・。
一筋縄じゃいかないことは、過去の経験から分かっている。
どうやって交渉の席上に引きずり込むか、これが問題だ。和解したいとこちらから誘うことは絶対に出来ない。
考えた末、まず書簡を送ることにした。しかし、その内容をどうしたものか・・・
ここは、真っ向勝負しかない! そう思い、単刀直入に、
「アメリカ子会社の社長から会いたいとの申し出を受け、会って見たが様子が変だった。そこで、真偽を確かめたく一度お会いしたい。」と、することにした。
数日後、親会社の特許担当部長から返事が来た。
そこには、「ソウルに来てもらえるのなら会ってもよい。」と書かれていた。
早速、ソウル行の便に予約を入れ、仁川空港へと向かった。
彼等の会社は、漢江(ハンガン)沿いの韓国放送公社(KBS)の近くにあった。
5月だというのに、まだ肌寒いソウルの街をタクシーに乗って訪問した。
近隣のビルとは遜色のない立派な佇まいを見せる本社ビルの玄関を入ると、何か違和感を感じた。受付はあるものの人の気配が感じられない。
これだけ大きなビルならば、視界の中に数人の社員や訪問客が映ってもよさそうなものだが、誰もいない。
幽霊屋敷にでも入ったかのような気分で、特許部長が来るのをじっと待っていた。
10分くらい待たされて、ようやく人の気配がした。我々に近づいて来たのは眼鏡の男性だった。
会話もなくエレベータに乗り、上層階にある会議室に案内された。会議室に入っても誰もいない。
しばらくして、先程の眼鏡の男性が一人で入って来た。実は、彼が特許部長だったのだ。何とも不躾な応対である。
名刺交換の後、着席しても何も言わず、じっと黙ったままこちらの様子を覗っている。
このままでは相手のペースに巻き込まれてしまうと思い、こちらの方からから口火を切った。
「米国の社長から、自分は退職するという話を聞いたが、この裁判での御社側の窓口は誰になるのか?」
「私だ。」それだけ言って、彼はまた沈黙に入った。
今までに出会った韓国の人達は、皆それなりによく喋る人達ばかりだったが、今回はこれまでとは全く勝手が違う。
どうやって会話を続ければよいか途方に暮れていた時、会議室のドアが開き若い男性が入ってきた。
すると、目の前で黙って座っていた特許部長は急ぎ席を立って中央の椅子をその若い男性に勧めたのだった。
若い男性はその行為には目もくれず、まっすぐ我々に近寄ってきて名刺を差し出したのだ。
そこには、『Executive Vice President』と書かれていた。
彼は、「今後の対応はここにいる特許部長に任せてある」と言い残してさっさと退席して行った。
彼が部屋を出た後、先程とは打って変わったようにその特許部長は話し始めたのだ。
どうも、上司が挨拶に来るまでは何も話すなと言われていたらしい。
これが、韓国特有の一族会社のしきたりなのか・・・
若い彼は、社長の息子だった。
我々は、アメリカで聞いた話を話題にして本社がこの裁判を一体どうするつもりでいるのかを探ろうとした。
しかし、驚いたことに特許部長はアメリカの話を全く聞かされていないようだった。
そこには、完全な縦社会があったのだ。
こちらの話を無視するかのように、彼は特許論争を仕掛けてきた。
どうも言いたいことは、蓋の開け閉めと低消費電力モードへの切り換え時期とのタイミング関係のようだ。
思ったより早く交渉は進みそうだ。
いよいよ決戦の幕開けである。
(次号へ)
それでは、また。
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★ 編集後記
法改正後、何かと話題に上がる「商標」ですが、新しいものに飛びつくのは決して悪いことだとは思いません。
ただ飛びついただけで終わらないよう「使い方」に知恵を絞って欲しいものです。
商標担当の求人を出す会社や事務所も多いようですが、急場凌ぎにならなければいいですね。 商標は、企業の顔ですから・・・。
埼玉大学理工学部電気工学科卒
日本電気株式会社に入社。以来34年間知的財産及び企業法務に従事し、 特許技術部長、知財法務事業部長、監査役を歴任。在籍中は、多くの国内及び海外企業との知財関連訴訟やライセンス契約の責任者として事件解決や紛争処理に努め、一方で「取得」主体の知財活動から「活用」に主眼を置いた知財戦略や知財活動、教育の改革に取り組む。また、企業法務の責任者として、コンプライアンスやコーポレートガバナンスの管理・運用に従事。半導体事業及びパソコン等のパーソナル事業に精通。