━━ 『特許を斬る!』知財経験34年 ・・・ 愚禿の手記 第79号 ━━
最近、デザイナー佐野研二郎氏の話題が、何かと騒々しい。
同氏のデザインに関して、次々と類似のデザインがネットで公表されている。
この類似問題に対する佐野氏の記者会見の模様を見ていたが、どうも釈然としない。
質問する記者も、答える佐野氏も、何かオブラートで包んだような言い回しが多かった。
この問題は、「類似しているかどうか」ではなく、佐野氏自身が類似と言われている作品を実際に見てデザインしたのか、それとも見ないでデザインしたのか、その事実こそが重要なはずだ。
だから、質問する記者は、見たか見なかったかを質問すればよいはずなのに、どうも遠回しに答えを誘っているように感じられてならない。
一方、佐野氏も「見たか否か」は自分が一番よく知っているはずだから、見ていなければ、「見てない!」とはっきり答えれば、それで済む話なのだ。
これまでの質疑応答を見た限り、どうも裏があるように思えてならないのは、私だけだろうか・・・
著作権は、特許権と違って「相対的独占権」なので独自にデザインした作品が、たまたま他の作品と類似していたとしても、何等問題は無い。
ただ、ここまで話が広がると、見てないことがはっきりと証明されない限り、誰も納得しないだろう。
しかし、その証明は非常に難しいと言ってもよい。
特に、類似と言われているデザインは、日常身近なところで誰もが目にしているものが多い。
従って、佐野氏が被害者なら、この言いがかりを撃退するのに相当の労力を払わなければならないだろう。
人間とは不思議なもので、似ていると聞いた後で目にして見ると、たとえ違ったものでも、何故か似ているように感じるものだ。
こんな話を聞いたことがある。
二人の贋作者が、モナリザの贋作を描いたら、どちらの作品も本物そっくりだった。
しかし、贋作同士を見比べて見たら、誰が見ても全く違う作品に見えたという。
そう云えば、テレビの「そっくりさん」登場でも、そっくりさんだけを見れば、確かに本人に似ているが、そっくりさん同士を見比べると、二人は全く別人に見える。
こんな経験をした人も多いことだろう。
類似かどうかは、見た人の主観に左右されるということだ。
さらに、その主観も、それまでに見聞きしたことに大きく支配されると云えよう。
しかし、類似か否かは、主観で判断してもよいが、盗作か否かは、見て作ったかどうかという事実認識に基いた客観的な判断が必要である。
「類似=盗作」とは必ずしも言えない。
佐野氏が潔白であるならば、それをどうやって証明するのかを注目していきたい。
インテルとのマイクロコードに関する著作権侵害訴訟で、独自に開発したコードであることを立証するのに大いに苦しめられた経験者として。
それでは、また。
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★ 編集後記
昔は、マスコミがデザイナーの殺し屋と言われていましたが、最近は、殺し屋はマスコミではなく、インターネットの利用者に変わってきたようです。
事実を見ないで、上辺だけの情報に振り回されないように注意しなければ、便利なはずのインターネットも、即、凶器に早変わりすることを肝に銘じておきましょう。