知財と教訓

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『ゆっくり茶番劇』商標の登録騒動に思うこと - 騒動の原因は、何処に・・・? -:第102号

2022年6月29日

━━ 『特許を斬る!』知財経験34年 ・・・ 愚禿の手記 第102号 ━━

 

『ゆっくり茶番劇』とは、上海アリス幻樂団の著作物である「東方Project」のキャラクターを題材にして、音声合成ソフトを使って抑揚をつけずにセリフをゆっくり棒読みする寸劇をYouTubeやニコニコなどで配信する動画で、その筋では歴史もありファンの間では根強く定着しているようです。

 

ところが、2021年9月に「東方Project」の作者とは無関係の第三者が「ゆっくり茶番劇」という文字商標を特許庁に出願申請し、これが2022年2月に商標登録されました。

 

そして、事もあろうことか、商標権を取得したこの第三者が、今年(2022年)の5月、「ゆっくり茶番劇」を使うにはライセンス料が必要だとTwitterやYouTubeで公言したのです。

 

これで、瞬く間にネットに火がつき、多くの批判の声があがりました。

 

前記第三者の依頼で「ゆっくり茶番劇」の商標登録を代理した事務所には爆破予告が入ったり、日テレやTBSがこの騒動の模様を地上波で放映したり、

 

内閣官房長官までもが政府見解を述べたり、と、忽ちのうちに日本中がこの話題に染まりました。

 

あまりの騒動の大きさに、本商標を取得した本人は、ライセンス料を無料にすると発表し、後に、商標の抹消登録申請を行ったと公表する始末。

 

この事件は、パッと見、商標の登録申請を行い、これが特許庁で認められて、商標権を取得した権利者が、自分の権利を公表して正当な対価を主張しただけのようにも見えます。

 

では、どうしてこのような大騒動にまで発展したのでしょうか・・・・???

 

事件に関する情報を収集してみると、以下の2つの問題が浮かび上がってきました。

 

1つ目は、商標が登録されるまでの経緯です。

 

通常、商標を出願する前には、その商標が周知になっていないかどうかを調査した上で、大丈夫と判断された商標が出願されます。本件も、しっかりと事前調査がなされました。

 

こうして出願された商標は、更に、特許庁で厳格な審査が行われ、登録要件を満たしていると認定されたものだけが商標登録されます。本商標も、特許庁の審査を経て登録されました。

 

ここまでは、他の商標と全く同じ経過を辿っています。

 

ところが、この騒動が起きるや否や、商標出願を代理した事務所が公式ホームページで謝罪したり、特許庁も「この出願には悪意がある」との異例の見解を示しました。

 

何故、このような事態が起きてしまったのか!

 

そこには、調査に問題があったのではないか、との疑問を禁じ得ません。出願時の事前調査のみならず、審査時の調査にも何か足りない面があったのではないのでしょうか。

 

調査に100%の完成度を求めるのは不可能ですが、類似商標の数だけを見て周知か否かを判断するのではなく、もう一歩踏み込んで、その数の内容まで調べてみる必要があったかも知れません。

 

今回のケースでは、「ゆっくり茶番劇」という文字が何件検索できるのかだけではなく、その文字を使ったり、見たりしている人がどれほど多くいるのかを見ればその認知度を計ることができ、騒動は避けられたのかも知れません。

 

代理人も審査官も所詮「人」なのですから、彼らに完璧を義務付けることはできません。

 

そして、彼らの不足分を補うために、情報提供や異議申立という第三者による法的手段があることも事実です。

 

しかし、だからと言って、調査を甘くしてもよいとはならないはずです。

 

調査する人も第三者も、相手に頼ることなく、自己ベストを尽くすもう一歩の努力が必要だったのではないでしょうか。

 

2つ目は、騒動の元となった「ゆっくり茶番劇」の原作者を含む関係者の対応です。私は、この2つ目の方に本騒動の根本原因があるように思われます。

 

「ゆっくり茶番劇」がSNSで注目を浴びたのは、ゲーム「東方Project」のキャラクターをアスキーアート化した2次創作物や、さらに、それを元にキャラクターをイラスト化した3次創作物まで出現し、ドワンゴが運営するニコニコ動画で数多くの「ゆっくり茶番劇」が配信されるようになったからのようです。

 

この状況を見て、原創作者、2次創作者、3次創作者共に著作権の自由使用を許可するとの声明を公表しました。

 

これで一気にファンの間で「ゆっくり茶番劇」のニコニコ動画に火が点き、ライバーも急増したようです。

 

法的権利に関しても、自由使用が認められており、誰にでも分かるように2次創作に関するガイドラインまでもが公表されました。

 

恐らくその当時、まさか将来このような騒動が起きるであろうことを「ゆっくり」の関係者誰もが、予想すらしなかったことでしょう。

 

ところが、上手の手から水が漏れるかのように、ある日突然、この商標事件が勃発したのです。

 

関係者の慌て振りは、ネット情報を見れば明らかです。上述した商標出願代理人の緊急謝罪や、特許庁の見解表明、内閣官房長官の政府コメントに加えて、

 

ニコニコ動画の運営者が本件に対する声明を発表したり、商標を取得した権利者が所属するネットコミュニティ運営グループが、本人を無期限会員停止処分にするなど、何とか事態を終息させようと必死だったようです。

 

何かが起きてから動き出すという日本人特有の「後から対応」がここでも起きてしまいました。

 

しかし、こうなる前に、何か手を打っておくことは出来なかったのでしょうか。

 

「ゆっくり茶番劇」の原作者を始め関係各位も、法的権利に関しては、自由使用を認めているのだから問題は起きないはずと思い込んでいた節があるようです。

 

そして、これこそが本件騒動を誘発する根本原因となったのではないかと考えられます。

 

自由使用を認めるだけでは、ゆっくり茶番劇の動画作成者や視聴者を守ったことにはならないのです。

 

お客様を守るというのは、自由使用を認めることではなく、自由に使用できる環境を提供するということではないでしょうか。

 

そのためには、著作権だけでなく、特許や意匠、商標といった全知的財産権で、お客様の使用環境が荒らされないように事前に整備しておくことが大事なのです。

 

今回のケースでも、「ゆっくり茶番劇」という商標を原創作者やサイト運営者が予め押さえていれば、決してこんな大事にはならなかったでしょう。

 

自由にお使い下さいと言うからには、安心して自由に使える場を整備することが、創作者や運営者の義務であることを忘れないで頂きたいことを切に願うばかりです。

 

 

それでは、また。

 

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★ 編集後記

 

そう言えば、私も、自社製品が原因で出火事故を起こしたお客様から、爆破予告ならぬ脅迫メールを受けたことがあります。

 

顧問弁護士にその話をした所、「それを言うなら、私は既に百回ぐらい殺されていますよ」と言われ、妙に納得させられたことを覚えています。

 

どんな仕事でも危険は付き物ということなのでしょうか。

 

クワバラ、クワバラ

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知財法務コンサルタント
堤 卓一郎

埼玉大学理工学部電気工学科卒
日本電気株式会社に入社。以来34年間知的財産及び企業法務に従事し、 特許技術部長、知財法務事業部長、監査役を歴任。在籍中は、多くの国内及び海外企業との知財関連訴訟やライセンス契約の責任者として事件解決や紛争処理に努め、一方で「取得」主体の知財活動から「活用」に主眼を置いた知財戦略や知財活動、教育の改革に取り組む。また、企業法務の責任者として、コンプライアンスやコーポレートガバナンスの管理・運用に従事。半導体事業及びパソコン等のパーソナル事業に精通。

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